番茶~日本人のソウル飲料~(10/12)「今の日本茶に思うこと2」
- s.kazuki
- 2022年1月13日
- 読了時間: 4分
このままでは日本茶の衰退は免れない
日本茶の衰退が叫ばれて久しいが、最低でも私が死ぬまで美味しい日常茶番茶を飲み続けたいので衰退されては困る。そもそも、番茶の会社を自分で始めたのも様々理由はあれど、私が気に入ってる茶がなくなられては困るというのが最初の動機だったように思う。
そこで、考えてみるに衰退の原因は大きく2つあると思う。
第1に「お客さんの選択肢の少なさ」だ。
これは由々しき問題だ。最近でこそ品種に目を向けられ始めているが、どこへいっても、やぶきた(品種名)、深蒸し、旨みのお茶ばかりである。このやぶきたという品種は日本茶の凡そ85%程を占めている。ある程度収量が見込めて、味も比較的濃く出やすい。だいたい毎年平均点は取れ、安定しているという面では特に生産者などには嬉しいことが多い。しかし、逆にそこが限界でもある。栽培地域や製茶方法などが多少違ってもモノが一緒である以上、その違いはあってもたかが知れている。
どこで作ってもさほど変わりない。どこで買ってもほとんど同じ。このような買うのに楽しみのないものに誰が継続してお金を払うのだろうか。衰退しているのは必定だと思う。
どこでもそこそこの平均点が出せるという事は一つの長所になりうるかもしれないが、近年の異常気象などでそれすら怪しくなってきている。これではリーフではなく、現代における利便性に応えているペットボトルが良いとなるのは当たり前だ。
番茶はその点、個性があり(強すぎるものもあるくらい)誰が飲んでも違いが分るものが多い。また、無農薬や有機最低限の肥料の栽培であることで、年によって多少出来不出来の差がある。これはある程度賛否が分れると思うが、これによって、自分にとって100点のお茶に出逢えることもある。その番茶をあろうことか事実上、下級品の地位へ追いやった罪は深い。
再び、日本茶が日本人の為の飲料としてきちんと意識されるにはまず、消費者が選べる幅を広く持つことだと考える。
第2に「小手先の対策ばかりである」ことだ。
当然、売る側も衰退していることに座しているだけではない。その対策として最近では若い人に向けて色々とやっているようだ。パッケージを変える、カフェなどの雰囲気の良いお店で飲ませる、高級嗜好の新しい商品開発、目の前で淹れて見せるetc...。
無駄とは思わないが、これらは全て小手先のその場しのぎにしか思えない。外面だけ新しく装えど、肝心の茶が変わっていない。これではいけない。最近”本物の日本茶を”というようなキャッチコピーをしばしば目にするが、大抵濃くなっただけで値段を釣り上げているだけということもある。何を本物と思ってお客さんに提供しようと勝手だが、本物だと言うならこの先もそれはきっと残り続けていくことだろう。根本的な原因はそんな外面で解決できるほど優しくないと思う。
パッケージが変われど、いい場所で飲んでも「濃い味は感じるが何杯も飲めない」「消費者の選択肢は狭められている」などの問題は何一つ変わっていない。
それぞれの産地や生産者の特色を活かした茶があった方が興味をそそられるし面白いはずだ。面白さや遊びがないものは早晩つまらなくなり、つまらないものに誰が近づくだろうか。極端な話、好みが分れるようなそんな茶が今より増えてくれば良いと思う。その時、従来の慣行農法ではそれは成しえないということを肝に銘じるべきだ。農薬はもとより肥料が多投された今までのやり方では、また同じような味になる。ましてや香りよいものなど期待できない。そして、今までは味の濃さや水色の濃さで価値を計る傾向にあったが、これからは香りをもっと大切にすべきだ。中国茶、台湾茶、紅茶、いずれも香りに重きが置かれる。特に茶のメッカ中国はそれをよくわかっている。
今までの対策では物珍しさなどで1回は手を伸ばすことはあれど、その後に続くような要素が全く感じられない。こんなことをしていては、本当にお茶をずっと好きでいてくれるお客さんは現れにくい。今の時代に一般的な日本茶そのものが、既に消費者に受け入れられるものではないということをいい加減に認めるべきだ。
消費が衰退すれば、その業界で働こうという後継者も現れなくなるのは当たり前だ。現実に、生産者も小売も高齢化が顕著だ。嘆く人も多いが、この現実こそが何か物語っていると言わざるをえないのではないだろうか。そうなれば、新しいことも始まりにくくなる。
新陳代謝が低く、若手が活発に動かない世界では衰退しかないのではないだろうか。
次回「今後は萎凋を」
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