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番茶~日本人のソウル飲料~(9/12)「今の日本茶に思うこと1」

  • 執筆者の写真: s.kazuki
    s.kazuki
  • 2021年12月31日
  • 読了時間: 3分

〇3章 番茶及び現状の日本茶に対して思うこと


番茶こそ料理の調和を図る飲料だ

 

 番茶の特徴は淡白でさっぱりしているという話を先にした。

 この特徴から、料理にも非常に合うものと思う。飲料である以上お茶そのものも、きちんと食事との相性を考えていくべきではないだろうか。

 近年の食生活は日本においても、濃い味や油の多いものが大変増えている。それなのに、いまだに濃くドロッとした日本茶が多くを占めている。このような現代の食生活においては、濃い料理×濃いお茶では調和に欠ける。率直に言って飲みたくない。そこで、料理にこそ特に爽やかな淡い番茶が合うと強く思う。外での食事においても、料理の素材や見た目、店の外観や雰囲気はこだわるのに、飲み物はなんとなく”良さそう”だからというのではさすがに詰めが甘い印象になってしまう。何も難しいことはない。いい飲み物ではなく、全体で考えて”合う”飲み物を出せば良いだけだ。そこで番茶は大いに役立てるものであると思う。


 「醸肥辛甘(ジョウヒシンカン)は真味にあらず、真味は只だ是れ淡なり」という言葉がある。「濃厚な味はほんものの味ではない。ほんものの味はただ淡白な味のものである」という意味だ。この言葉は現代において真剣に考えるべきことであると思う。




番茶はブームとの付き合い方を注意すべきだ

 

 この先いつどんな形で日本茶ブームが来るか分らない。また、番茶ブームが起こらないとも言えない。その時気を付けるべきは、その付き合い方だと思う。ブームとは刹那的であり、その瞬間の気まぐれに過ぎない。

 ここ数十年、日本茶はただ単に濃いのみならず、甘さという事にまで迎合してきた。苦味を感じるお茶は受けが悪く、甘くしないと売れないとさえ言われることもある。売れない原因はそんな所ではないだろうという小言はさておき、茶は多少苦味を感じるものだ。それが茶の良さでもあるのに、性来備わっているものをねじ曲げるのはおかしい。


 ブームは意図的に作られることもある。また、消費者側では自分が特にそう思っていなくてもブームだからという事だけで飛びつくこともしばしばあるのではないだろうか。それが知るきっかけになるというメリットはあるだろうが、そこにあまりに媚びるとブームはすぐに去るものでそれと共に人も去っていく。だからそれに乗っかり過ぎてその瞬間売れているからいいやとなると、その後に行き詰まる。そしてその責任は当然自分で負わねばならない。

 ブームとは本質を見失った間違った方向に行くことも大いにある。それに乗っかて来てそのままなのがここ数十年の日本茶であったと思う。もっとそのものが元来備えている性質を知り、それを大きく損なわないように常に気を付けるべきだ。ブームが起こっても本来持っている性質を曲げないで、乗っかれる所は乗るというブームの付き合い方にしていきたい。



 ブームに肖りたいのは商人としての人情だ。しかし、この過剰消費に歯止めが利かない世で無責任な一時の気まぐれに付き合うべきではないし、そんなものに付き合いたくない。もっときちんと長く愛されるものを提供して、それを理解して受け止めてくれるお客さん達に出逢い、そういった方たちを相手にちゃんとした仕事がしたいと思う。





次回「今の日本茶に思うこと2」



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